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映画『甲子園~フィールド・オブ・ドリームス』を見て思うことの雑記・メモ

初めに言っておきますが思い切りネタバレします。
上映館減ってきたけど、読みたくない人はここでおやめくださいな(アクセスありがとうございます)

 

https://www.instagram.com/p/CE9Hh5uJlXw/

今日で(丸の内では)最終日だったので「甲子園~フィールド・オブ・ドリームス」へ。甲子園とはなんぞやというのを定義するのって実は難しくて、部活でありスポーツの大会であり、興行なんですよねぇ。なのでありふれた正論を言ったところでそれは甲子園というか高校野球の一側面を切り取ったものでしかないんだよなぁとは正直思う。ただそういう立ち位置からしても覚える違和感もあったし、逆に的を得たりというところもあったり。ドキュメンタリーだからこそ見えてくる高校野球の現実の断片というものが垣間見えた気がするし、自分なりの考えと言うのはこの作品を見る中でぼんやり浮かんできた気はする。機会があったら見た方がええと思いますわ

 

 

「甲子園~フィールド・オブ・ドリームス」を観てきました。(ESPNで紹介されたっていうのを知ってから1回観てみたいとは思っていたくせに上映されてたのを知らずで、友人に教えられて気づくという大マヌケっぷり)

 

www.nikkansports.com


思ったことをつらつら書くだけなので、作品の時系列は無視してるし、深い考察とかはご期待なさらず。(多分オチもないような話になると思います。)


映画『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』予告編

 

この作品は夏の甲子園の大会そのものというよりは「甲子園を目指す人達のリアル」というところに焦点が当て、100回目の(すなわち大阪桐蔭が優勝した2018年の)甲子園を目指す2つの高校を追いかけたもの。主な登場人物は横浜隼人高校の水谷監督、花巻東高校の佐々木監督を中心とした家族、選手、関係者。時折(OBということもあってか)菊池雄星大谷翔平のインタビューも入ってきます。

 

どういう経緯でこの2人、2校を選んだのかは分かりませんが、結果としてこのチョイスがすごい上手く効いてて、水谷先生率いる横浜隼人高校は(17年ぶりに)初陣で横浜商業(オールドファン大好きのY校ですね)に破れ、佐々木監督の花巻東は甲子園出場を果たします。

とはいえこの2人、特に縁もゆかりも無いわけでもなくて、佐々木監督が学生コーチとして水谷監督の下で色々教わった師弟関係で、佐々木監督は結婚式の仲人を水谷監督にお願いしたほど。

甲子園出場回数もそうだし、菊池雄星大谷翔平等を輩出したってこともあって佐々木監督が若干天狗になったりしてもおかしくはなさそうだけど、「水谷監督に教えられて今がある」と佐々木監督はしっかり恩義を感じているし、水谷監督は水谷監督で「自分のとこだと子供だから~」という理由で自分の下で野球をやらせる事に抵抗がある様子で、次男の公省君を花巻東に入学させてたくらいなのでいい信頼関係ができてる感じでした。
(と映画見ただけだと上記の通り感じてしまったんだけど、親父さんの意思は関係なく、本人が花巻東への進学を決めたみたいです)

number.bunshun.jp

 

ちなみに記事にもあるように(映画中出てくる)秋の新チームでは1年生ながら四番を打たせてもらい、今やドラフト候補なんだそうな。

 

また佐々木監督が天狗になってないという所ですごい印象的だったのは大谷翔平について語る時の言葉。

数年前から盆栽にハマっているらしいんだけど、盆栽というのは器より大きくは育たないらしく、それを教育にも準え

「自分も選手を大きい器に入れて育てただけ」

大谷翔平に出会うまで何人もの投手を無理矢理自分の器に入れて殺してきたかと思うと大谷翔平を育てたなんて恐ろしくて言えない」

というのがこの映画で1番響いたシーンだったような気もする。また盆栽って若くて柔らかい時期には鋼を巻いて折れないようにする、ある程度の時期が来ると鋼が枝に巻きついてるのが窮屈で大きくならないから外すらしく、その辺を上手く自分の指導、教育に反映させているんだなというのが作品を通して随所から感じ取れました。

 

一方水谷監督率いる横浜隼人高校の描写では監督と同じくらい佐藤龍門君というベンチ入り当落線上の学生にもスポットが当てられています。(映画では描かれないんだけど)ここ一番でポカが多いことに加えて、身体ができておらず設定された体重72kgを超えるまで練習には参加させてもらえず隙あらば白米にふりかけをかけて食べて・・・という感じ。そして無事その体重を超えて、練習参加するものの守備のミス(ゴロのファウルボールへの判断)ですごい怒られ、カロリーノートの記入もやらなかったこともあり(トレーナーかコーチみたいな人に「なんで付けないんや」と問い詰められはしていたけど、そこをうまくやらすのもコーチングじゃねぇかなぁとか思ったんですが)体重も落ちてしまい、最後のメンバー発表ではベンチ入りが叶いません。
個人的にはこの一連の過程が好きではないというかとりあえず下の二点は今後高校野球界で改善していけるとこなのではないかと感じました。

1.体重管理について
当たり前ですが、身体は突然大きくなるものではなく、栄養とトレーニングの掛け算で大きくなるものです。個人個人の体質の問題もあるし、アマチュアスポーツで予算の問題ももちろんあるんだけど、個人の努力(ノート付けとかね)ベースで科学的手段を無視したように見えるアプローチってどうなんだろうなって思いました。選手の頑張り、責任もあるけどこれって指導者側の責任がないところでもないんじゃないかなぁっていう気がします。

2.部活は勝負なのか教育の一環なのか
佐藤君は前述の通り、ベンチ入りが叶いません。水谷監督も嫌がらせで外したわけではもちろんないし、掴みきれなかった佐藤君が力足らずでした、っていう面はもちろんあるんでしょう。

ただすごいモヤモヤしたのがベンチ入りメンバー発表後の言葉。「横浜隼人の野球部はまず第一に人間としての成長を目指している。全部員が人間として成長することができた(キャプテンをこれに同意させるんだけど)。だったらそれでええやないか」みたいなことをいう(一字一句正確ではないです。)んですけど、まぁこうやって割り切らないと毎年選ぶ外すって作業を行う監督という立場をやってく上で精神的に持たないって面はあるにせよ、ちょっと違うんじゃないかと思いました。
野球を通して人間としての成長云々というのは大人側の理屈で、それなりに強豪校である横浜隼人の野球部に入学してくる子は「野球が上手くなりたい」「甲子園に出たい』という気持ちで入ってくると思うんですよね。だからそこの気持ちに寄り添ってそこに対して責任を持つ、また目標からブレたり、目標達成のためにいきすぎた場合止めてあげるのが指導者側の責任じゃないかと思うし、全て終わった後、結果として「結果は○○だったけど、人間として成長できたな」って選手が自発的に思う話なんじゃないかなぁ。監督含めて野球部が保護者なり関係者にそういう言われたらいいねっていう理屈を納得させるために、かつ上下関係ある中でこの理屈を持ってくるのはどうなんですかねぇ。

 

映画の中では水谷監督自身についても語られます。
水谷監督は徳島県出身で、水谷産業という会社の長男。子供の頃に見た地元徳島の池田高校の快進撃(いわゆる「さわやかイレブン」の時)を見て、池田高校への進学、池田高校の野球部へ入部を親に懇願するも会社の跡取りになってもらうつもりの親からは認められずいわゆる進学校へ進学、1982年の徳島県大会の予選(準々決勝だっけな?)でその池田高校と対戦しますが、(まあ高校野球好きはわかるでしょうが)1982年の池田高校っていうのは「やまびこ打線」で甲子園で優勝するチームなので大敗。

自分が負けたチームが甲子園優勝したというのもあるのかそういったエピソードを交えて池田高校への羨望?のようなものと蔦文也監督から影響があることを水谷監督は映画の中で認めます。このエピソードの時に蔦監督のドキュメンタリーの映像が差し込まれ、まぁ昭和の体育会的というか理不尽に見える指導の様子なんかも垣間見えるんですけど。


昭和57年 池田高校 全安打集


まぁ蔦監督の影響というところもだし、序盤で語られる「昭和の頑固オヤジでありたい」という言葉と指導の実態は(個人的には)一貫性があるなぁという風には思いました。


で、自分はちょっと対比的に見えてしまったんですが、花巻東のエピソードの時に菊池雄星大谷翔平が最後の夏に負けた時のインタビューが出てきます。菊池雄星が「監督さんと日本一になりたかった」とか大谷が「監督さんと甲子園にいって、優勝して岩手の人に喜んでもらいたかった」(これももちろんうろ覚えなので違ってることもあるかも)と言っていたり、最後のほうのカットで新チーム始動の時に生徒に向け佐々木監督が「100回大会を機に坊主頭強制をやめる。古くていいものはいっぱいあるけど、変えなきゃならんものもいっぱいある」と言っていたりして、意図せずして(製作側は意図したのかもだけど)違いが見えたなぁという感じはしました(どちらがいい悪いではないし、今回撮影されてないもの、編集で抜け落ちたものはたくさんあると思います)

 

と、まぁ個人的な思想もあって肩入れしたり、ちょっと批判的になったりしてしまったかもしれないんだけど、どちらの監督も、いや全国の監督が甲子園に出させてやりたい、試合で勝たせてやりたいという思いで一生懸命色々なものを犠牲にして(水谷先生の奥さんの言葉がまた深かったんですけど)いるのが甲子園なんだなぁという感じでした。

 

スポーツの真剣勝負であり、部活の大会であり、日本有数の注目度の高いイベントであり、多くのお金が動く興行であるのが甲子園。すごいバランスが複雑でどこに寄るか、どの立場かによって考え方、見え方なんていうのは全く違ってくると思います。だからこの作品も人によって見え方とか感想が全然違う作品だと思うし、それでいい、そうあるべきいいドキュメンタリーじゃないですかね。(余談ですけど、この作品、ナレーションが入らないし字幕も状況とか人の説明以外ほとんど出てこない(はず)です。もちろん撮影者への受け答えはしているんですが、撮影者の発言が聞こえなくてもスムーズに観られるし、編集している以上なんらかの意図はあるんですが、それが制作側の伝えたいことの押しつけになってないのもいいなぁと思いました)


甲子園について、普段野球見なくても一家言あるような人が毎年夏になると急に増え始めたりして、(いろんなテーマで)一見正しいように聞こえる正論を振り回されたりしてちょっと辟易するし、個人的にしっくりくるものがほとんどありません。だからと言って自分自身もうまく表現できないんですけども。そういう難しさをうまく切り取ったのがこの映画だと思うので、高校野球についての現実を見たい人にオススメ、というかこの映画でなくてもこういうドキュメンタリーをある程度見た上でじゃないと人の心に響く「甲子園論」って語れないのかもなと思いました。


『甲子園:フィールド・オブ・ドリームス』公開記念舞台挨拶 ゲスト:小野塚康之様、山崎エマ監督 @アップリンク京都